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昭和39年ごろ、当時の篠原理事長をはじめ数人の役員が高円寺の阿波おどりを見学に行き、その素晴らしさに感激し是非我が商店街でもやってみようと思い、高円寺の役員の方々に色々とお骨折を頂き昭和41年の8月目黒銀座商店街で念願の記念すべき第一回阿波おどり大会を繰り広げる事が出来ました。
しかし、鳴り物入りで始めた阿波おどりも8年間続いた所でいろいろな事情により残念ながら16年間もの長い間中止となるが、再び平成2年に復活して現在に至ります。 |
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- 昭和41年8月〜昭和48年8月(8年間)
- 昭和49年〜(16年間)〜平成元年
- 平成2年7月(復活)〜
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リオのカーニバルと並び称され、みんなの心を熱狂させる日本の夏の風物詩。阿波踊り。起源は諸説がありますが、蜂須賀家政が徳島城落城を祝って城下の町民に無礼講を許したのが始まりといわれています。お囃子で衣装を凝らした踊り手が組みをつくって町々を踊りまわったという記録も残っています。これが後の都々逸の母体となる「阿波よしこの」となり、さらに「ハイヤ節」の野性的なリズムと合体。威勢よく踊り進む現在の阿波踊りの姿になりました。
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本場の息吹き、地元の興奮、熱い熱い阿波踊りがはじまる!
地元の方、 訪れる方、一緒になって燃え上がる真夏の夜のフェスティバル。
城南地区夏の一大イベントに発展して、多方面から、大きな反響を呼びました。
そもそもこの催しは「ひとりひとりが心の中に祭りを持っています」誰もが心に持つ思いを持ち寄って大きな束になった時、それが街の祭りになる。
束ねていくプロセスで新たなコミュニケーションが生まれ、みんなの心がひとつになり魅力的な街づくりにつながる。そんな考えから中目黒夏まつり阿波おどりは誕生したのです。
例年、目黒信用金庫連・民文連・高円寺連・くじら連・三茶連・経堂むらさき連・下北ひふみ連・三宿自衛隊連・なかよし連・営団地下鉄連他参加。
来て、見て、参加するエキサイティングな真夏の夜のフェスティバルに、多くの皆様のご参加とご協力をお願いいたします。
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